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 情報の一般論


1. 情報の概念
現在において、「情報」という用語を厳密に定義することは難しいと考えられるので、ここでは「情報」という概念の持つ一般的な意味について 実用的観点から論考する。
本稿において「情報」とは、「組織体系間の相互関連性が或る媒体によって確立され得るとき」に用いる。
ここで「組織体系」とは一般に秩序立てられた具象的な体系の意味で用い、「媒体」とは「組織体系」間に介在する抽象的対象としての系の意味で用いる。
「媒体」をも含めた「組織体系」の全体についても、一つの大きな組織体系を構成すると看做せるが、「情報」の概念を明確に論ずるためには、 全体系を複数の部分系に分けて、その間に介在する抽象的対象である「媒体」となる系を考える必要がある。
換言すれば、「組織体系」と「媒体」の区別が明確でないような場合、すなわち全体が渾然一体となっている均一かつ静的な体系については、 「情報」の概念が存立し得ないことになる。
「組織体系」の身近な具体例としては、ヒト個体、人間社会、通信機器、コンピューターなど様々な系が該当し、 「媒体」の具体例には、文字列、図形、画像、映像、音声、音楽、演技、電気信号、光信号など様々な対象がある。
なお本稿では、「媒体」それ自身は「情報」とは呼ばず、「組織体系間の相互関連性が確立された」ときに限り役割を果たす「情報内容」の伝達手段であると考える。 すなわち「媒体」の役割を果たす対象が存在している場合であっても、「組織体系」の側で相互関連性が必ずしも確立され得るとは限らないからである。
身近な実際例として、日本人が英米人から英語の文字列や音声を受け取っても言語内容ついて判読や感知できないことが起こり得るので、 この場合は「組織体系」間(この例では日本人と英米人)の相互関連性が確立されたとは言えない。
このような状況においては、日本人の側からすると英語文字列は単なる図柄であり英語音声は単なる物理的な音として認識されるのみであって言語内容は把握されず、 結果的には当該の文字列や音声は「情報内容」の伝達手段としての「媒体」の役割を果たしていないことになる。
他の例として、通信機器やコンピューターの場合には、「情報内容」を伝達する手段として電気信号を相互に授受することによって成り立つが、この場合についても 電気信号の伝送方式が予め共通の認識基盤として互いの機器類間で構成されている必要がある。
異なる伝送方式であっては「組織体系」(機器類)の相互関連性を確立することが出来ず、結果として電気信号は伝達手段としての「媒体」の役割を担わず、 互いの機器にとって電気信号は単なるノイズとして認識されるに過ぎない。
これらの事例から、「情報内容」を伝達する手段としての「媒体」の形式が、「組織体系」間で予め共通の認識基盤として構成されている必要があることを意味する。
「組織体系」間の相互関連性が確立されたか否かは、その生じ得る結果から判断されることであり、「媒体」となる対象が真に伝達手段としての役割を果たしたか否かについても 結果から判断されることになる。
通常の経験では、「媒体」が如何なるものであるにせよ、「組織体系間の相互関連性が確立された」ことをもって「情報内容」の伝達が完了したと看做されているように思われる。
このような観点からすると、「情報」という概念は或る意味で抽象的かつ主観的な要素が強く、客観的実在物として具象的に独立して存在する形式のものではないと考えられる。 すなわち「情報」の概念の最も特徴的で本質的な点は「組織体系間の相互関連性の確立」にあるのであって、そのための具体的な手段や方法に本質がある訳ではない。
さらに別の例として、「組織体系」が生物の場合には、細胞核内におけるDNAまたはRNAのような高分子が遺伝情報としての役割を担うとされている。
ここで単一の生物細胞とウイルスの関係は、前述した「情報」の概念に共通した側面を持っている。
ウイルスの本質的機能に関しては、そのウイルス内部に存在するDNAまたはRNAのような高分子にあるとされる。
一般に生物細胞は、生存するために独自で代謝機能を保持しており、外界に対して目的性をもって自発的かつ能動的に作用する「組織体系」であると解釈できる。
一方、ウイルスに関しては生物細胞とは異なり代謝機能を持たず、外界に対して自発的に作用せず常に受動的に存在するのみであって、単なる物質的な傾向が強い。
したがって、このような事例の場合、ウイルスを「組織体系」として把握することは適切ではなく、むしろ生物細胞の間に介在して「情報内容」を伝達する「媒体」としての 役割を持つ対象であると解釈するのが妥当であろう。
ただし高度の諸器官をもつ多細胞生物個体に関しては、各細胞間の情報伝達の機構は極めて複雑であると思われるので、ここでは単一の生物細胞とウイルスとの関係に限定して考える。
そこでウイルスが単一の細胞間において、「情報内容」を伝達する役割を果たす「媒体」となるか否やかは、細胞表面にウイルスが結合出来るか否かに依存しており、 これは細胞表面とウイルス面の構造の互いの関連性によって決定される。
一般にウイルスは他の単一細胞に由来するものと思われるが、このウイルスが標的細胞表面に結合可能な場合に限り、 細胞(組織体系)内にウイルス(媒体)が取り込まれ標的細胞内にある遺伝情報(DNAやRNA)に作用することが出来る。 このとき当該ウイルス(媒体)は「情報内容」を伝達する役割を果たすことが出来て、いわゆる「組織体系(細胞)間の相互関連性が確立され得た」ことになる。
ウイルスが標的となる細胞表面に結合出来ないような場合においては、細胞の側からはウイルスは単なる物質に過ぎず、情報媒体として認識されないことになる。
このような事例からしても、「情報内容」を伝達する手段としての「媒体」の形式が、「組織体系」間で予め共通の認識基盤として構成されていることの必要性が示唆される。


2. 情報内容の伝達効率
「組織体系」が或る「媒体」を介して「情報内容」を伝達する際において、「情報内容の伝達効率」というものが考えられる。
何故ならば「組織体系間の相互関連性」が「媒体」によって確立され得た場合であっても、情報伝達が必ずしも100%達成されるとは限らないからである。
この「情報内容の伝達効率」という立場でみると、「組織体系間の相互関連性」が全く確立され得なかった場合には「情報内容の伝達効率」は0%であるとも解釈できる。
実際に行われる「情報内容」の伝達過程においては、「情報内容の欠損ならびに変形」などが起こり得るために、 現実的には「情報内容の伝達効率」は100%に達し得ないと考える方が妥当であろう。
さらに「組織体系」間に「適合性の不一致」がある場合においても、情報の受取り側で「情報内容」の棄却等が発生し、「情報内容」の伝達が完璧な形て達成されるとは限らない。
すなわち「情報内容の伝達効率」100%という状況は理想的な極限の状態を意味するに過ぎない。
身近な実際例として、日本人同士が互いに日本語の文字列や音声を受け渡しする場合に、その言語内容は確かに判読ならびに感知し得るので、 「組織体系間の相互関連性は確立され得る」のではあるが、文字列の誤認や聞取り時の誤り等は現実に起こり得る。
このような例は情報の伝達過程における「情報内容の欠損ならびに変形」などが生じた場合に該当している。
さらに文字列の誤認や聞取り時の誤り等が全く無い場合であってさえも、情報の受取り側の予備知識が不足しているときなどは、 受取った「情報内容」を適切に処理できず棄却等が発生し、結果として情報伝達が完璧な形て達成され得ないことになる。
このような例は「組織体系間に適合性の不一致」がある場合に該当している。
他の例として、「組織体系」が通信機器やコンピューターの場合には、「情報内容」を伝達する際に電気信号(媒体)を用いるが、この場合についても 電気信号の伝送過程において信号の欠損や変形等が生じたとき、それらの影響により情報伝達が必ずしも100%で成されるとは限らない。
さらに伝送過程中における電気信号の欠損や変形等が全く無い場合であってさえも、 機器同士のインピーダンス整合性が適切に設定されていないときなどは受取り側で「情報内容」の棄却等が生じ、情報伝達が必ずしも完璧に達成されない。
これら諸々の事例から、「組織体系間の相互関連性が確立され得た」にしても、「情報内容」の伝達が必ず100%達成されるという保障は無い。
すなわち現実的には「情報内容」の伝達が完璧な形で成されるとは限らないので、常に情報伝達に伴うリスク (伝達中の情報内容の欠損や変形ならびに受取り側による情報内容の棄却等)について考慮する必要がある。
「情報内容の伝達効率」を定量的に把握するためには、その「情報内容」の欠損や変形ならびに棄却などの程度について考える必要がある。
「情報内容」が伝達過程中に50%ほど「欠損」した場合については、この「情報内容の伝達効率」は50%程度であると見積もってよいであろう。
しかし「情報内容」が伝達過程中に50%ほど「変形」した場合については、この「情報内容の伝達効率」が50%程度であるとは一概に言えない可能性がある。
何故ならば「情報内容」の意味が歪曲された状態でもって、誤った情報の形として受取り側に90%程度も伝わる可能性が起こり得るからである。
また「情報内容」は「変形」せずとも、その内容が僅か1%ほど「欠損」した場合についても、この「情報内容の伝達効率」は99%程度であると見積もることは出来ない可能性がある。
何故ならば「情報内容」が僅か1%ほど「欠損」した程度でも、「情報内容」の意味が全く異なる誤った情報の形として受取り側に99%程度で伝わる可能性が起こり得るからである。
身近な実際例として、一つの文章中に僅か1文字程度の違いがあっても、当該の文章全体の意味内容としては全く異なる形で受取り側に伝わることが現実に起こり得る。
このように「情報内容」の「欠損」ならびに「変形」により誤った情報が伝達された場合、受取り側からすると単に「情報内容」が不足している場合よりも不利益もしくは弊害が大きく、 状況によっては情報が伝達されなかった場合すなわち伝達効率0%である方が望ましかったことになる。
このような誤った情報伝達の可能性をも考慮するとき、「情報内容の伝達効率」というものは必ずしも「正の値」とは限らず「負の値」も考えなければならないことになる。
誤った情報の中で最も不利益もしくは弊害が大きい事例としては、情報の意味内容が元とは全く逆の意味となって受取り側に伝達された場合であり、 このようなときには「情報内容の伝達効率」は「負の値」として−100%程にも及ぶと見積もってよいであろう。
誤った情報内容(負の伝達効率)を撤回するためには、直後に誤情報の取り消しと正しい情報内容(正の伝達効率)を受取り側に送出する必要があり、 この取り消しの時点においては正負の伝達効率が互いに相殺されて伝達効率0%となり、結局は「情報内容」が伝達されなかったことに等しくなるのである。
「情報」すなわち「組織体系間の相互関連性が或る媒体によって確立され得た」にしても、そのことが有益か不利益かを即座に判断することは不可能であって、 後に起こるであろう「組織体系」全体が示す挙動をもって判断する以外に方法は無いないのである。
このことは、前節で論述したように、「情報」という概念は、「組織体系間の相互関連性」が示す結果的な挙動に基づいて認識されるものであって、 抽象化の度合が極めて高い概念であり、「情報」それ自身が客観的実在物として独立に存在する形態のものではないということに依拠している。


3. 情報内容の抽象化
一般に「情報内容」は、それを構成する「情報内容の要素」から成り立っていると考えられる。
「組織体系」が人間社会であるとき、「情報内容の要素」の例としては、 学術、技術、芸術、生活文化をも含めた幅広い分野に属する諸々の「知識」などが該当する。
すなわちこの場合、「情報内容」は「情報内容の要素」である個々の「知識」から構成されているとみてよい。
ここで一概に「知識」と言っても、感覚的に直接認識できるような「具象的な知識」から、 論理的考察によって理解されるような「抽象的な知識」まで様々な形態で存在している。
一般に「抽象的な知識」というものは論理的形式を重視し、実質的内容に乏しいという傾向がある。
したがって「知識」というものは「抽象化の度合」の高いものから低いものへと階層的な序列的構造を持っていると考えられる。
一般に「知識」は数多くの「概念」から構成されているものと考えられ、単独で孤立的に存在する「知識」というものは考え難い。
ここで「概念」とは、それぞれ個々の認識事象において、「共通する属性に着目して得られる思考の対象」のことを意味する。
「抽象化の度合」の高い「知識」になる程、「抽象的概念」を含む割合が高く、より広範な知識体系と論理的関連性を持っている。
すなわち「抽象化の度合」の高い「知識」については、感覚的に直接認識することが難しいという傾向がある。
身近な実際例として、ネコやイヌのような生物個体についての「情報内容の要素」として、それら個体の形状、毛の色、鳴声、などに関する 「知識」については「抽象的概念」を含む割合が低く、感覚的に直接認識し易い知識であって「抽象化の度合」は低いと考えられる。
これに対して、それら生物個体の質量や重心などに関する「知識」については、より広範な知識体系である物理学と論理的関連性を持っており、 「抽象的概念」を含む割合が高く、感覚的に直接認識することが難しい、所謂「抽象化の度合」の高い「知識」である。
一般に個体の運動を論ずるような場合においては、質量や重心が重要となる「知識」であって、毛の色や鳴声に関する「知識」などは必要とされない。
一方、ペットとして飼育する際に、飼い主の好み等の判断基準としての「知識」に関しては、個体の形状、毛の色、鳴声、などが重要となるであろう。
このように「知識」に対する必要性と「抽象化の度合」は別の事柄であって、必要性はそれぞれの状況に応じてその都度に異なることに注意すべきである。
前述したように、「知識」は「情報内容の要素」を成すものであるから、それと関連付けて「情報内容」についても「抽象化の度合」が一意的に決まると考えるかもしれない。
しかしながら「情報内容についての抽象化の度合」が直接的に「知識についての抽象化の度合」と一意的に関連付けられる訳ではない。
すなわち「情報内容についての抽象化の度合」と「知識についての抽象化の度合」とでは意味が異なる。
実際に抽象化の度合の高い「知識」を含んだ「情報内容」であったとしても、その「情報内容」全体の意味するところは具象的であることが起こり得るのであって、 「情報内容」全体までも「抽象化の度合」が高くなるとは必ずしも言えない。
一般に「情報内容」は数多くの「知識」を含んでいるものであって、それら個々の「知識」の総合的結果として「情報内容」全体の意味が決まるのである。
そこで「情報内容の抽象化の度合」については、あらためて考察する必要がある。
本稿において「情報内容の抽象化」とは、「情報内容」に含まれる個々の「知識」の中、「特定の知識」のみ抜粋され纏められ、「他の諸々の知識」は被覆もしくは隠蔽されて、 情報伝達する処理操作のことを意味する。
このような「情報内容」に対する処理操作の際に、抜粋され纏められた「知識」の量が少ない程、かつ被覆もしくは隠蔽される諸々の「知識」の量が多い程、 「情報内容の抽象化の度合」が高くなるものと判断される。
一般に「情報内容の抽象化」の必要性は、情報伝達に際して予め「情報内容」の受取り側の「組織体系」の要請に依存する。
身近な実際例として、前述した生物個体の形状、毛の色、鳴声などの様々な「知識」の中、毛の色に関する「知識」のみを抜粋し纏め「他の諸知識」は被覆もしくは隠蔽して 情報伝達する処理操作は、「情報内容の抽象化」の一例である。
この場合、予め「情報内容」の受取り側の要請に応じて、毛の色に関する「知識」のみ抜粋し纏めて情報伝達するという処理操作を行っているのである。
受取り側の要請として、予め生物個体の質量に関する知識が求められているのであるならば、それに応じた「情報の抽象化」すなわち 質量に関する「知識」を抜粋し纏め「他の諸知識」は被覆もしくは隠蔽して、情報伝達する処理操作となるであろう。
「情報内容の抽象化」に際して行われる処理操作すなわち「知識」の被覆や隠蔽は、「情報内容」の受取り側の利便性を配慮してのことであって、 前節で論述したような「情報内容」の欠損や変形とは本質的に異なるものである。
受取り側が求めているもの以外の数多くの「情報内容」をむやみに送出する必要はないのであって、この点に「情報内容の抽象化」の必然性の根拠がある。
他の実際例として、コンピューターのような情報機器などに関するものがある。
ユーザーがコンピューターを使用する際に、そのコンピューターのハードウェアに関する詳細な「知識」について、すべて熟知している必要はなく、 ユーザーが目的を達成するために必要な最小限の「知識」をもってコンピューターを操作すればよいのである。
このことは、ユーザー側(受取り側の組織体系)からみると、「情報内容」がコンピューター内で幾階層にも亘って高度に抽象化された結果において得られる利便性なのである。


4. 情報内容の伝達速度と因果関係
本稿の最初に述べたように、「情報」を「組織体系間の相互関連性が或る媒体によって確立され得るとき」に用いるとした。
一般に「組織体系」間において、「情報内容」が瞬時に伝達されるということは起こりえず、実際にはある程度の時間的遅れを伴い、この遅れの度合も状況によって様々である。
この理由には二つの要因があり、第一には「情報内容」を担う「媒体」が「組織体系」間を伝わる際に、ある程度の時間を要するためであり、 第二には「組織体系」の側が「情報内容」を処理するまでに時間を要するからである。
これらの要因により、「情報内容」が「組織体系」間において伝わる際の時間的遅れを考慮する必要がある。
すなわち「情報内容」が伝わる速さを表す尺度として、「情報内容の伝達速度」が考えられ、 この「伝達速度」については「媒体」の種類に依存するが、「組織体系」側での情報内容を処理する時間にも依存する。
いずれにせよ「情報内容の伝達速度」の大きさは有限であり、このことが後述するように「組織体系」の「送信側」と「受信側」ならびに「因果関係」などの意味を論ずる上で重要な役割をもつ。
なお 最も高速な媒体は真空中を伝わる光であることが知られており、この光速度は原理的に物理学における速度の上限となっている。
「情報内容の伝達速度」が有限であるということは、「組織体系」を情報の「送信側」と「受信側」に分類することが可能となる。
すなわち時間的に先に情報処理した方の体系を「送信側の組織体系A」とし、時間的に後に情報処理した方の体系を「受信側の組織体系B」とする。
この際に「組織体系A」が行う情報処理操作は送信手続きであり、「組織体系B」が行う情報処理操作は受信手続きとみなせる。
このことから、もし「情報内容の伝達速度」が無限大すなわち瞬時に情報内容が伝わるような状況においては、 時間的な前後が区別できないので、「組織体系」を「送信側」と「受信側」に分類することは不可能である。
換言すれば、「送信側」と「受信側」の区別は、「情報内容の伝達速度」が有限であるからこそ意味をもつ概念であると言える。
一般に二つの事象AとBが生起した際に、それら事象AとBの間に原因と結果の関係が認められるときに限り、「因果関係」が成り立つと言われる。
例えば「事象Aが原因となって事象Bという結果が生起した」という形式で論述されるような場合が該当する。
事象Aと事象Bが独立な事象であって、それら事象間に全く相互関連性が無いような状況では「因果関係」は認められない。
すなわち「因果関係」の存在が認められる必須条件として、事象間に相互関連性が確立していることが前提となる。
そこで 事象間の相互関連性を、「情報」という観点から更に一般的に「組織体系間の相互関連性が或る媒体によって確立され得るとき」として再解釈することができる。
ただし「組織体系間の相互関連性が或る媒体によって確立された」としても、これはあくまでも「因果関係」が成立つための基本的前提ではあるが、 それをもって直ちに「因果関係」が成立つということにはならない。
「因果関係」を成立させるためには更なる条件が必要となる。
この条件とは、「情報内容の伝達速度」が有限であること依拠して、「組織体系」を情報の「送信側」と「受信側」に区別できることである。
このとき「送信側の組織体系A」が原因の役割を担い、「受信側の組織体系B」が結果の役割を担うものと理解される。
情報の一般論の立場から、「因果関係」が成立つ条件を纏めると次のようになる。
 1.「 組織体系」間の相互関連性が或る「媒体」によって確立されていること。
 2. 「情報内容の伝達速度」が有限であることに起因して、「組織体系」を「送信側」と「受信側」に区別することができること。
上記の条件1は「各組織体系」が互いに独立かつ孤立していないこと意味し、条件2は「情報内容」の伝達に関して「送信側」から「受信側」へと方向性をもつことを意味する。
ここでの論考において、「情報内容の伝達速度」が有限であるという点が本質的に重要な役割をもっている。



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